Nな人々

パソコンをはじめて購入した際に、人から言われたことで「ウザいなあ」と思ったことがふたつばかりあって、そのひとつが
「ホームページが作れますね!」だった。
はっきりいってわたしは、「マンガ家のホームページ」というものには興味がなかったし、今でもほとんどないといっていい。
なぜなら、何が書いてあるか見なくても予測がつくからだ。
まずたいていトップページには自作のイラストがあるが、へたするとこれからして単行本の表紙などの使いまわしだったりする。うちは最初から常時接続ではなかったから、1分近くも(へたすりゃもっと)待たされたあげくとっくにうちの本棚で見慣れているのと同じ絵を見せられたりしたひには、いかに好きなマンガ家さんのホームページであろうと「もういいです。」となって二度と訪れる気が失せるというものだ。
仮に、たまたまものすごくヒマだったかしてその苦難の1分を無事乗り越え中を見る気になったとしても、おそらくメインは既製の作品の紹介だろう。そんなもんとっくに買って読んでるからええっちゅうねんと訪れた人は誰も思わないのだろうか。(・・・思わないか、ファンなら。)
さらに「日記」と称して
「ああ〜ネームができない〜」
「締め切りすぎちゃって、編集さんやアシさんに迷惑が〜」
「時間がなくなって絵が手抜きに〜」
などのクソどうでもいい言い訳がつらつら並べてあるのを読まされたりしたひには、
「死にくされ!!!」
と叫んでいきなり本体の電源をブッチリしてしまう可能性だってありえないとも言い切れない。
わたしは、好きなマンガ家さんが普段“仕事以外のところで”どんな生活を送っているかには興味があるが、作品に関しては、読めさえすれば“その裏側”には何の興味もない。ましてや自分が読んでいいなあと思って気に入っていた作品のことを、作者自ら「あれは時間がなくてものすごく手を抜いて仕上げた」などと語られたら、それまでいいと思っていたものすら魅力が半減してしまう気がする。
こういうのは語る本人が気持ちいいのはわかるが、読まされる立場としては、少なくともわたしは迷惑だ。うちがメインコンテンツをマンガ関連記事以外のところに置いているのは、こういうわけである。


さて、もうひとつのウザいことというのは、
あそこに勧誘する人がやたらと多かったことである。
あそこがどこであるか、はっきり明言するのはカンベンしていただきたいのだがまあわからない人はほとんどいないのではないか・・・(※わかってもわからなくても、掲示板に書いたりするのはカンベンしてください。)
わたしは初め、そこをマンガ関係に詳しい人たちが集まって、マンガ関係の話だけをする場だと思っていた。なぜならわたしに勧誘してきた人はみんなマンガ家だったからだ。
何がウザいって、わたしは、マンガ家の友達でもたとえば同じ雑誌に描いている同士などでカンパニー的に大勢と友達になるということはほとんどなくて、いろんなジャンル・方面から年代も性別も取り混ぜてあっちにひとり、こっちにひとりという具合に友達がいるほうなのだが、その「あっちのひとり」と「こっちのひとり」は知り合いでもなんでもないはずなのに、それぞれが同じようにあそこに行くようにと勧めてくるのだ。
正直、ウザいというよりブキミであった。
どうしてそんなに同じジャンルの中だけでつるみたいのか。
しかも、詳しい話を聞いてみると(それもべつにわたしが興味があるから教えてくれと言ったわけでもなんでもなくて、それを話した人はほとんどそれしか話題がないようであった)そこに来るのはプロのマンガ家だけでなく、たんなる読者や同人誌作家、プロ志望の少年少女、いわゆるマニアや、誰か特定の作家のコアなファンなど、あらゆる「そのジャンルの人々」が匿名で集まって、正体を隠して業界の裏話や悪口やグチなどで盛り上がっているらしい。
わたしは不思議で仕方がなかった。
たしかにわたしも、業界内のそういう話をしたいときはある。
しかし、話す相手は仮想空間に求めなくともリアル世界にいくらでもいる。
たとえば、あるA誌の編集の悪口を言いたい場合、まだその雑誌で仕事をしたいときは絶対本人に伝わらないように別の雑誌のマンガ家友達に言い、もうそこで描く気はないのでクビになってもいいからその編集の悪口を広めて立場を貶めたいときは同じA誌のマンガ家に吹き込む、などの使い分けだって自在である(・・・しないけど)。
もちろんグチや悪口だけでなく、「いかに業界を生き抜くべきか」などの熱い議論を交わすこともある。
が、しかし。はっきり言ってそのての話は、既存の友達と話すだけでハライッパイなのである。
ネットという仮想空間で新しい友達を作れるのなら、どうせならぜんぜん別の業界の人間と、今までまったく自分が知り得なかった世界のことを語りたい。第一業界内のことなんて、名前も知らないような他人にわざわざ聞かされなくても今現実に自分の目の前に起こっていることさえ把握していれば充分なのではないか。
しかし、あそこにはまっている人にとってはそうではないらしい。
あるとき“勧誘員”のひとりがこんな面白いギャグを言ってくれて、わたしは電話のこちら側で必死で笑いをこらえてしまった。
なんでも、 あそこで話が盛り上がってみんなで仲良くなったので、ぜひオフ会をやりたいのだが、たがいの正体がわかっては今までのように楽しめないので、
どうやったら正体がわからずに現実で会うことができるか
とみんなで頭を悩ませているのだそうだ。
そんなことでいいおとなが真剣に悩んでいるヒマがあったら地雷でも掘ってこい、と思わず言いたくなった。
というか、その悩みを他人に話して聞かせること自体自分のヒマさとあほさを露呈してしまっていることに、気づかないのであろうか。「じゃあこうすれば」などとわたしがアドバイスしてくれるとでも思ったのだろうか。
その後その“勧誘員”とはリアルで会う機会があったのだが、むこうの話題があまりにソレ一色なのでもう心の底からいやになり、ついに言ってはいけないセリフを言ってしまった。

「あのさあ、そうまでして探さなきゃならないほどリアルでそういう話をする友達がいないわけ?」

その日から、勧誘はぱったりと止んだ。


勧誘は止んだものの、それでわたしの周りから完全にあそこの影が消えたわけではなかった。なぜなら、ネット上にはあそこ用語というものが蔓延していたからである。
どうもあそこの住人の方というのは、あそこ用語が通じない人間の存在を忘却して生きているらしく、掲示板でもメールでも何の断りもなく当然のようにあそこ用語を使う。
しかしこちらはあそこに行ったことがないため、その言葉があそこ用語であるということすら最初は気づかず、無防備に「この表現面白いな」などと思ってうっかり真似してよそで使おうものなら、わたしもあそこの住人であるかのような誤解を受けるおそれすらあった。それであそこには行ったことがなくても、あそこ用語解説にはお世話にならなくてはならないという不条理な状況までもが生じている。まったく迷惑なことである。
一度、以前常駐していた地域系の掲示板で、本当にわたしがあそこの住人であるという誤解が生じてしまったことがあった。
そこの常連のうち2人が、どういうわけだかわたしをあそこの住人であると思い込み、べつにそれで迫害したりなどはしなかったものの、「そうである」という前提で書き込みをしだしたのだ。
わたしはパニック寸前になった。
なぜならそれまでにわたしは、そこや他の掲示板で「あそこには興味がないから行かない」「以前しつこい勧誘にあって迷惑した」などと何度か書いたことがあって、それを読んでいた人たちが今度のこの2人の書き込みを読んだら、それらが全部嘘だったということになりかねないのだ。
わたしは軽いホラはしょっちゅう吹くものの、そういう自分自身のことに関して知っていることを知らないと言ったり、行った場所を行ってないと言ったりすることは絶対にしないし、そういうことで嘘をつく人間だと思われることが生きていく上でいちばん堪えられない。
もうその日は仕事もそっちのけで、誤解をしている2人に対して「わたしの書き込みのどこらへんを読めばそういう誤解が生じるのか。わたしの以前の“行ったことがない”という書き込みは信用されていなかったのか。」と問いただし、ほぼ1日がかりで「あそこにはほんとうに行ったことがない」ということを必死で弁明した。
その結果、2人はわたしに対して次のような素晴らしいコメントをくれた。



「もうこの話題どうでもいいから終わりにしたいんだけど。」



・・・冷静になって考えてみると、1日がかりであそこに行ったことがないことを弁明しているわたしと、どうやったらたがいの正体がわからないままオフ会を開けるか輪になって真剣に悩んでいるあそこの人々とでは、そのヒマさ加減においていったいどれほどの差があるというのだろう。
かくしてわたしはますますあそこが嫌いになり、何があっても絶対に訪れるものかと固く心に誓ったのであった。

(2002・2・4)




ちょっとした解説。



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