十手人参の恐怖

つい最近、推理小説が好きという人とメールの交換をしていて、おたがい今までにどんな作家のを読んだか話していたところ、
その人がどうやら江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポーを
「同一人物」と思い込んでいることがわかった。

わたしが親切に
「それはまったく別人であって、ダニー・ケイと谷啓ぐらい違う。」
と教えてあげると彼は、
「30過ぎた今まで思い込んでいた」と冷や汗をかいていた。

彼の場合は誰かがわざと嘘を教えた可能性も考えられるし、もしかしたら小泉八雲のラフカディオ・ハーンか誰かと混同しているのかもしれないが、原因はいろいろあれど、こういう「間違った思い込み」によって大恥をかく機会は、大人になればなるほど増えるような気がする。

うちの母は、むかし誰だかのコンサートに行って来て、
「すごかったのよー、終ってからもずっとアンケート、アンケートって
と興奮しながら報告していた。
(・・・アンコールの間違いである、念のため。)

また、やはり昔、シドニイ・シェルダンの「ゲームの達人」という本の広告がやたら電車内に下がっていたことがあって、それを見ながら高校生の男の子が友達に「ゲームの達人ってどんな話か知ってる?」ときいていた。

するとその友達は、
「え?あれってゲームの攻略本だろ?」

・・・じつはそれを立ち聞きしていたこのわたしも、ほんの数日前、新聞でその本が詳しく紹介されているのを偶然読むまではそう思い込んでいたのだった。まったく人のことを笑ってはいられない。

もっと笑えない秘密の話が、じつはわたしにはある。

やはり今をさかのぼること10年近く前(正確には忘れてしまった)、ちまたでは「いかてん」とかなんとかいうテレビ番組が火付け役になって、ちょっとしたバンドブームが巻き起こっていた。わたしはほとんど興味なかったのだが、テレビをつければいやでも新進の若者バンドの流行の曲が流れてきて耳に入る。

そのなかで、やたら聴きなれない特徴のある節回しを使うバンドが一組あって、しだいに気になるようになった。
なんでも沖縄音楽を下地にしているとのことだった。

わたしは、そのバンドが決して気に入ったから気になったのではない。むしろ同じ節の繰り返しが耳について不愉快で、(決して沖縄音楽が嫌いなわけではなく、伝統的な節回しに安っぽい歌詞が乗っかっているのがいかにもねらっている感じがして、しかもそれが「斬新だ」などと持ち上げられているのが余計腹が立った)できればあまり聴きたくないと思っていた。そこで、不用意に聴かなくて済むように、仕方なく名前を覚えて避けることにきめた。

が。そのバンドの正確な名前が、どうしてもわからなかったのである。

それなりに流行りのバンドだから、人が発音するのは何度も耳で聞いたが、あまりに聴き慣れない単語だったために文字の並びを頭の中でどうしても変換できなかったのだ。

人の脳とはおそろしいもので、あまりに理解不能な言葉は、何度も聞くうちに「知っている言葉の中からいちばん近いもの」を適当に当てはめてしまうらしい。かくして、そのバンドの名前はわたしの頭の中で、よりによって

「十手人参」

というわけのわからない言葉に変換され、定着してしまったのである。

むろんわたしは、この「十手人参」が正確なバンド名でないことを忘れたわけではなかったので、人前でうっかり発音しないよう、バンド関係の話題が出たときなどは特に細心の注意を払って言葉を発していた。そして、一刻も早くこのバンドが話題に上らなくなるよう、早くブームが去るよう毎日祈っていた。

初めてはっきり文字で「ジッタリン・ジン」という名前を目にしたのは、
もうブームもかなり終わりの頃だったように思う。

今まったく彼らの音楽を耳にしなくなったのは、決してわたしの呪いが通じたせいではない、と信じたい。


・・・このエッセイを書きかけていたある日、実家の母から電話がかかってきた。

わたしは「鼻炎気味なのでチュアブル錠を飲んでいる」と言おうとしたのだが、チュアブル錠といってもわからないだろうな、と思って

「ほら、口の中でなめて溶かす薬あるでしょ・・・」と説明したら、

「ああ、えーと、コックローチ?

・・・・・・。「トローチ」と言いたかったらしい。

(2001・3・29)

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