シュラ場の食卓

わたしは料理が得意である。

・・・・・・正確には、わたしは、「料理が得意だ」と言うことにしている。
具体的にどういうレベルか説明するなら、「独り暮らしで困らない程度のレパートリーがあり、作ったことがないメニューも、そんなに凝ったものでなければ作り方を見れば作れる」といったところだ。
しかしわたしは長いこと、こういうのは「料理ができる」うちには入らないと思っていた。
学生時代の家庭科の授業なんてたいして好きではなかったし、ろくに聞いてもいなかったから「あの頃の知識」なんてものはかけらも残っていない。実家でも、作らされたことは作らされたが、特別わたしの得意なレシピを期待されるようなことはなかった。だからわたしは、自分のことを、料理に関しては「世の中の独身女の最低レベル」ぐらいだとずいぶん長いこと思ってきたのだった。

この思い込みがくつがえされたのは、今から6〜7年前、ある有名漫画家の先生の仕事場に手伝いに行ったときである。

その先生は、当時日本中で知らないものはいないほどの大ヒットを飛ばした有名人だったが、わたしはそのヒット作が始まる前から知り合っていて歳も近かったので、「半分アシスタント、半分友達」のような付き合いをしていた。
その先生から、久しぶりに原稿の手伝いを頼まれたわたしは、都内某所にある高級マンションに足を踏み入れた。そのマンションに来るのは初めてのことだった。引っ越す前の仕事場にはちょくちょく呼ばれていたのだが、しだいにわたしも忙しくなったり、むこうも専属の人をみつけたりしてなんとなく疎遠になっていたのだ。
大理石を敷き詰めた玄関で出迎えてくれた彼女は、まず台所へわたしを案内した。
そこには、独り暮らしだというのに天井に届かんばかりの大きな冷蔵庫がそびえていた。そして彼女が扉を開けると、中には下ごしらえをしたいろいろな食材がぎっしり詰まっていた。なんでも昨日から、実家の母上がいらして用意していってくれたそうだ。そしてご丁寧にも、壁には「これとこれを混ぜ合わせると何々という料理ができる。」とことこまかく指示したメモまで貼ってある。
わたしが到着するまで先生1人だったが、このあとまだ何人か手伝いの人が来るそうなので、みんなで何日かカンヅメになって過ごせるだけの食糧なのだろう。
ちょうど昼時だった。先生は「お腹すいてるでしょう?わたしもすいてるの」と言った。そして、
「ごはんあるからおにぎりと、あとこの中から何か適当に作ってくれない?わたしはできないから。」
マンガの手伝いに行って、初めて足を踏み入れた家でいきなり台所に立たされるとは思っていなかった。それにしても、「できない」というのは「忙しいからやっていられない」という意味だろうか。それとも・・・。
彼女が引っ越す前の仕事場では、食事はすべて外食かデリバリーだったため、考えたこともなかったし、また、このような状況もまったく想定していなかったのだ。
とりあえずは、深く追求するのは止めにして、ジャーの中にあったごはんに青ジソとじゃこをまぜておにぎりを作り、あとよく憶えていないが何か本当に冷蔵庫の材料をただ混ぜ合わせただけのものを作って、二人で食べた。他の人は夕方から来るとのことだった。
「そのうちの1人K子さんがごはん係をやってくれるから、彼女が来たらあなたは仕事に専念してくれればいいからね。」と先生は言い、それから二人で雑談をしながら夕方まで原稿をやった。
夕方になり、K子さんと他のアシスタントさんがやってきた。
K子さんは他社の雑誌の漫画家さんで、名前と絵柄は知っていたがわたしは本人とは初対面だった。先生とはかなり仲のよい友達らしく、「今夜はシュラ場の幕開けにふさわしいごちそうを作るから、たのしみにしてて」と前から約束していたようだ。
さっそく彼女は台所に入り、先生もいろいろ勝手を説明するためにつきあい、わたしと他のアシさんは仕事場で作業を続けていた。
夕食の準備にはかなりの時間がかかった。
何かきっと、凝った料理を作っているのだろうとわたしは思って待っていた。
すると、K子さんが突然台所からわたしたちに向かって
「ごめーん!なんだかサラダちらしが、すごくマズくできちゃった・・・」
と言った。
わたしたちは当然謙遜だと思い、「いいよいいよ」などと言って笑った。
しかし、
出来上がって、台所から次々に運ばれてくる料理を見ているうちに、しだいに笑えなくなってきた。
・・・ほんとうに、マズそうなのだ。
サラダちらしどころか、どれもこれも、みるからに「この料理は、たしかこうじゃないだろう」という形態をしているのだ。
仕事場に、ほんのちょっぴり気まずい空気が漂った。
しかし、まさか。彼女がこしらえた「料理」というのは、いってみれば半分出来上がっているものを混ぜ合わせたり、軽く火を通したりしただけのもののはずである。(それにしては時間がかかりすぎていたのが、多少気にならないでもないが。)そして、その材料を用意したのは「娘に手料理を食べさせるためにわざわざ上京してきた母親」である。
まさか、いくら見た目が多少「こんなん」でも、そんなはずはない。そんなはずはないではないか。
わたしたちは、引きつり笑いを浮かべながら「いただきます」を言い、食べ始めた。
そして、

誰一人として、一口以上手をつけようとはしなかった。

恐怖の一夜が幕をあけた。
冷蔵庫にはまだ、材料がたくさん残っている。
しかし、K子さんと、彼女に食事係を依頼した先生の手前、「何か作って食べませんか」とは誰も言えないでいた。
大都会の真ん中だというのに、昼間駅から来る途中に見た限りでは、レストランやスーパー、コンビニすら一軒もなさそうだった。自分も含めこのままでは全員の空腹がつのって、仕事にならなくなる。
わたしは「チョコレートを買ってきていいですか、近所になさそうなので時間かかりますけど。」と言ってみた。すると先生は「あら、チョコレートならあるわ。」と言って、どこかからもらった高そうなチョコレートを一箱出してきた。
申し訳ないが、先生はこの状況をなんとも思わないのだろうかと疑わずにはいられなかった。彼女とて「あの」夕食にはほとんど手をつけなかったはずだ。
締め切りに追われていると、空腹すら気にならないのだろうか。
とにかく、出されてしまっては仕方がない。
その夜は全員でチョコレートを食べながら、明け方近くまで仕事をした。
それから、全員で寝たのか交代で仮眠を取ったのか忘れてしまったが、とにかくわたしは明け方から朝にかけて少し眠り、翌日の昼過ぎ頃には全員が起きていた。
いいかげんで食事をしないともたないくらいの時間が過ぎていた。
すると、
先生が、信じられないことを言った。
「じゃあ、またK子さん何かお願いしようかしら・・・」
次の瞬間わたしは叫んでいた。「わたしがつくります!」
先生は、「え?でもあなたは仕事が・・・」と言ったが、もうこれだけは絶対譲るもんかと思った。
「作っている時間の分、お金ひいてくださってもかまいませんから!」
もうK子さんが気を悪くしようがどうでもよかった。「マズイもんだけは食いたくない」ただそれだけで、必死だった。
強引に台所に立ったわたしは、ご飯を炊き、ジャガイモとたまねぎの味噌汁と、鳥のささみとサニーレタスの酢味噌和えをつくって出した。
全員が、「おいしい」と言って食べた。
K子さんも幸い気を悪くしている様子はなかった。10数時間ぶりの食事は、質素ながらとてもおいしかった。
食べ終わってから、K子さんがわたしに言った。
「あの、味噌汁とてもおいしかったんですけど、どうやってつくるんですか?」
・・・・・・。わたしは、「土地の風習によって味噌汁に入れる具が違う」とかそういう話かと思って、ジャガイモとたまねぎを使った味噌汁の作り方を説明してみた。
すると彼女は言った。
「わたし、味噌汁って作ったことないんです。」

わたしが、自分は料理が得意だと言うことに決めたのは、このときからである。

(2001・5・27)


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