依存症との共存

某民放テレビ局の夕方のニュースで、ときどき「片付けられない女たち」という特集をシリーズで放送している。
最初は単なる野次馬根性で、どれほど汚い部屋か見てみたくてチェックしていたのだが、番組の中で「あそこまで度を越えて汚して平気でいられるのは、治療が必要な一種の精神病である」と精神科医が言っていたのを聞いてからは、仕事としての興味も加わって毎回見ている。
見たことのある人はわかると思うが、毎回番組で採り上げられる部屋というのは、「片付いていない」などというレベルではない。ものが部屋中に「散乱」ではなく、すでに「堆積」の域に達しており、部屋の主はその堆積物の上を、床の上さながらあたりまえのように踏んで歩いて生活している。堆積物の内容はというと、読み散らかした新聞・雑誌に加えコンビニなどで買った食べ物・飲み物の空き容器がそのまま放り出してあり、カビは生え放題虫も湧き放題、そしてそれに混じって、洋服や家電など明らかに生活必需品と思われるものも見え隠れしていて、ああいうものを使わずにこの人は普段いったいどうやって暮らしているのだろう、とこちらが首をひねっているうちに終るのがいつものパターンであった。
ところが、つい先日の、4月6日の放送で採り上げられていた部屋は、今までのパターンとは明らかに違っていた。
このコーナーに登場する部屋の主の女の人は、たいがい一人暮らしか主婦が多いのだが、この日出てきた人は、親の家の敷地内に6畳の広さのプレハブ小屋を建ててもらってそこを自分の部屋にしている。食事や風呂などは母屋の世話になっているらしい。30代の独身OLとのことだった。
そのプレハブ小屋が「散らかってしょうがないので片付けてほしい」と、自分から番組に手紙を送ってきたそうだ。
その小屋の映像は、もうすさまじいというかなんというか、すでにあれは「部屋」ではなかった。
どういう状況かわかりやすく説明すると、まず入り口のドアがあって、そのドアを入って2〜3歩進んだあたりにベッドがあるのだが、「ドアからベッドまでたどりつくための、人が一人体を横にしてやっと通れる隙間」と、「ベッドの上で人が寝るための、人の体の形をした空間」だけを残して、あとはすべて、天井まで本で埋め尽くされているのだ。
取材班が撮影しようにも、カメラすら入る隙間がないので、仕方なくリポーターの男性が小型カメラをつけたヘルメットをかぶって部屋に入ろうとするのだが、小柄な女性である部屋の主がやっと通れるだけの隙間しか残していないため、それより体の大きいリポーターが一歩進むたびに本の雪崩が起きる。あきらめて外へ出たリポーターが「あっ」と言って指差した方を見ると、中から本に押されて、部屋の外壁がまるで古くなってガスが発生した缶詰のように膨らんでいるという冗談のような事態が起こっていた。
・・・なにも、こういう部屋というだけならはっきり言って、そう騒ぎ立てるほどめずらしいことだとはわたしは思わない。部屋の主がモノカキや学者・研究者なら、この程度の惨状は日本中に何百・何千と起こっているはずである。
問題は、この部屋を埋め尽くしていた本の内容にある。
本・・・
と、いうより、画面に映っていた大半は、雑誌であった。
表紙が写真ではなく絵だったので、リポーターは「漫画雑誌」としか言っていなかった。
が。
おそらく全国何万人だかの視聴者の、何分の一かは
「そ、それは・・・」と思ったはずである。
そう、たしかに普通の少女マンガ雑誌もあったが、大半は、
ホモマンガ雑誌だったのだ・・・
「これは、依存症の人の部屋だ・・・」
わたしはそう確信した。
ずっと前に、何かの番組で見たことがある。アメリカで、子育てもほぼ終わり、広い家も生活に不自由しないだけの財もあり、だんなは仕事でかまってくれず、家事も使用人がやってくれるため昼間何もすることがない主婦が、あまりのヒマさに官能小説にはまり、次から次へと読んでしまい、やがて依存症になっていくというパターンが増え問題になっているというのである。
たしかその主婦たちは、1日に新しい本を3冊くらいは読まないと気がすまないと話していた。ということは、1か月のうち何日かはヒマでない日があるとしても、月70冊や80冊は買っていることになる・・・しかしアメリカは家も土地も広いので、その番組をみたときは、「その集めた本をどうしているか」までは考えが及ばなかったのだ。
それが今、まったく思いもよらなかったところからその答えを見せつけられ、わたしはしばしぼうぜんとした。
意外に思われるかもしれないが、当のわたしたち描き手は、その手の本をそんなに手元に確保したりはしない。(まあ、人にもよるが。)
わたしの場合は、最初は資料として手当たり次第に買い集めたが、数が増えてくるにしたがって、ああいうものは当たりハズレがあるということに気づき、ハズレのものはとっとと処分してしまった。その後も出版社が送ってくれるのだが、はっきりいってしまえばひとつの雑誌は毎回テーマがだいたい同じなので、よっぽどひいきの描き手が載っている号や、意外性のある面白い話が載っている号以外は、「読み物」としての価値は低くなる。それで、悪いと思いつつ古いほうから処分していくので、家がパンクするほど増えてしまうというようなことは、まずないといっていい。
しかし、こういうことができるのは、もともと本にかけられる金額や収納場所に制限があり、それをより無駄なく使うためには、1冊1冊の価値をきちんと確認しなければならないからであるような気がする。
「中毒」とか「依存症」という症状は、たとえばホモマンガ雑誌なら、
「それを読むこと」だけが必要なのであって、内容を咀嚼したり、面白いか、自分にとって必要かを見極めたりすることは、ないのではないか・・・そんな気がしてならない。
テレビの話に戻るが、プレハブ小屋の彼女に、しかたなくリポーターは
「じゃあとにかく、少しずつでもかたづけましょうね」と入り口付近から少しずつ本の山を運び出し、
「要るのと要らないのを選り分けてください。」と言った。
しかし彼女は、「あっこれはだめ、あっこれも・・・」と、なかなか捨てさせてくれず、結局運び出した分からすら、半分以上捨てられなかった。あきれたりポーターが、「いいですけど、今これだけしか捨てられないということは、全体でもせいぜい半分しか片付かないということですからね。」と言い捨てて帰って行き、その日の取材は終了した。おそらくこのリポーターを含め、番組サイドのすべての人と、番組を見た大半の人は、この彼女の問題は衛生観念と、「ものを捨てられない性格」にあると思ったに違いない。
最近、ホモマンガのほうの読者さんから、ときどき感想のお手紙をいただく。
中には「もうほとんど中毒です。」などと書いてこられる方もいて、冗談だとは思うが一瞬ヒヤリとする。
他に金を使うあてがなく、ヒマにまかせてはまってしまう読者が悪いのか、
それとも内容の価値にこだわらず、作品を量産してしまった描き手が悪いのか、
それは、わたしにはわからない。
後日、
あのプレハブ小屋の彼女の、その後のリポートが放送されていた。(このエッセイをぐずぐず書いていたため先に続きが流れてしまったのである)
とにかく部屋の中のものはいったん外に全部運び出され、「ゴミ」を選り分け、やっと部屋が部屋らしくなるところまでたどり着いた。が、
「ゴミ」を乗せたトラックが走り去った後、小屋の前にはマンガ雑誌の山がいくつも取り残されていた。リポーターに
「せっかく片付いたこの部屋、これからどうしますか」ときかれて彼女は
「はい、・・・少しずつ、あんまりためないようにします・・・」と小さな声で答えていた。
このリポーターや番組スタッフに、彼女の部屋にあったのが普通のマンガ雑誌ではないことに気づけというのは、たぶん無理だろう。しかし、彼女の問題が「依存性」にあることに誰かが気づかない限り、彼女はまた同じことをくり返すように思う。
「なんでもいいからホモマンガが読みたい。」ではなく、
「この人の作品だから読みたい。」と思わせるものを描く・・・
ほんとうは、みんなそう思って描いているのだろうか。すくなくとも
わたしはそう思って描いてきたつもりでいた。しかし、
じつは依存症になるような人がいるからこそ、わたしのような仕事は成り立っているのかもしれないと、そんなこともふと頭をかすめるのである。
依存症との共存を、認めるべきか否か。
その答えは日本中のあのプレハブ小屋のゴミの底に、
永遠に埋もれているのかもしれない。

(2001・7・2)


追記

書いている途中で知ったのだが、「片付けられない女たち」という特集は、2つの違う局の番組でまったく同じタイトル・同じテーマで放送されている。
しかしその内容にはかなり差があり、わたしが今回採り上げたのは、よりテーマにふさわしい取材をしているほうの番組であることを言っておく。


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