良い子はまねしないように

●其の1

あれは忘れもしない、小学校6年生のとき。
わたしが外掃除から戻ってくると、男子たちがわたしを指さしてひそひそ言っていた。
なんでも、掃除中うっかりひっくり返してしまったわたしの机の中から、変わり果てた姿の牛乳がころがり出て来たというのだ。
すでに男子の何人かは、わたしに
「腐った牛乳」
という何のひねりもないあだ名をつけようとしていた。
からかわれるのがマジうざかったわたしは、翌日学校をズル休みした。
その次の日、おそるおそる登校してみると
クラスの誰一人としてあの事件にはふれようとしなかった。
どうやら、わたしが休んだことで
「あれは誰かがぽんたちゃんを陥れるために、わざと机に仕込んでおいたに違いない」
という結論が学級会議において出されたらしい。

あれはわたしが自分で残した牛乳を何か月も本気で忘却していたものだ、
ということは今となっては、
誰も知らない秘密。

●其の2

この土地に引っ越してきて間もない、去年の夏。
わたしは水羊羹が大好きだった。
家から少し離れたところには有名な和菓子店が何軒かあって、ときどき買ってきては食べていたが、いかにせんああいうところのはおいしいが高いので、そういつもいつも買うわけにはいかない。
家のすぐ近所の商店街に、一軒のだんご屋がある。
店の正面がいきなりショウケースで、焼き餅やいなり寿司なども置いていてだんごが1本40円といったノリの、いわゆる庶民の味方である。
この店は和菓子も置いていて、暑くなってからは水羊羹も店頭に並んでいた。
しかしやはり和菓子ものは他の駄菓子より少々値段が高く、これだったらあと何十円か足してちゃんとした店のを買おうと思うのが和菓子ファンの心理だ。
が、しかし、とうとう背に腹は替えられなくなって(?)わたしはこの店の水羊羹を買って食べてみることにした。よく晴れた暑い午後だった。買い物の最後にその店に寄り、家に帰り着いたわたしはすぐに冷たいお茶を汲み、今買ってきた水羊羹を皿に移した。
お茶を飲んで、一切れ口に運ぶ。
その瞬間。なぜか、ふっとかいだことのある香りがよぎったような気がした。
ひとくち目を味わいながら、わたしは「皿かフォークを、よく洗わなかったかよく乾かさないで片付けてしまったかしたのだろうか」と考えていた。
なにしろ、時期が時期である。
しかしまあ、気のせいかもしれない。わたしはふたくち目を口に運ぼうとした。
口に入れる寸前に、気のせいではないことに気づいた。
「これではせっかくの水羊羹がおいしくない、皿とフォークを替えよう。」
・・・皿とフォークのせいではないことに気づいたのは、みくち目を口に入れてしまった後だった。
なにしろ、時期が時期である。
いったいどこの誰が、このクソ暑いさなかに「たった今、徒歩1分のところの店から買ってきた生もの」がぞうきん臭を放っているなどと思うだろうか。
幸いふたくち飲み込んだぐらいでわたしの胃腸はなんの異常もきたさなかったが、それ以来いくらだんごが1本40円であろうと、その店に近寄らないことは言うまでもない。

●其の3

つい昨日のことである。
「腹をこわした」というほどではないが、少々腸のはたらきがよすぎるような気がわたしはしていた。
何かにあたったのだろうかと考えてみたがわからなかった。心当たりが多すぎて。
とにかく悪化しないとも限らないので、気をつけるに越したことはない。しかし腹は減るし仕事もあるので、何も食べないわけにはいかない。
どうしようかと考えていたら、ふと調理台の上の1個のりんごが目にとまった。
少し前に知り合いから2個もらって、1個はすぐ食べたのだがもう1個はなんとなく食べそびれていたものだ。
そうだ、りんごだったら病人にもよく食べさせるし、消化もいいかもしれない。
わたしはそれを手に取った。
が、よくみるとそれは、表面にたくさん茶色いそばかすが出ている上に、1か所直径1センチぐらいの茶色い凹みができている。
それを見たわたしは、このりんごがどうしてここにあるのかを思い出したのだった。
数日前、野菜カゴを整理していてこのりんごを発見し、そばかすが出かかってるので早く食べなければと思い、カゴから出して目につきやすいここに置いておいたのだ。
それにもかかわらずさらに数日間、りんごはわたしの視界に入りつつも認識はされず、無言でじわじわと腐敗をすすめていたのである。
わたしはおそるおそるりんごを切ってみた。
凹みができている側の半分はだめだったが、残りの半分は皮を厚くむけばなんとかだいじょうぶそうだ・・・

何故そもそも自分がりんごを食べようとしたか、を思い出したのは
食べ終わってしまった後だった。
≪この話の最初に戻る。・・・・・・≫

(2001・11・9)


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